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いち東大生の書評ブログ

最近やっと熱心に本を読むようになった、とある文系東大生による気楽な書評ブログです。

愛の対象は数式だけじゃない―『博士の愛した数式』

博士の愛した数式 (新潮文庫)

博士の愛した数式 (新潮文庫)

今回紹介するのは、小川洋子博士の愛した数式』新潮社(2005年)です。
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私事ですが、山形県米沢市に免許合宿で行った時に、地元のブックオフで見つけたのがこの本でした。厳しい教官にどやされながら必死に運転していた時にちょっとだけ心の慰めになった思い出の本です。


静かで温かい文体ので、数学者を中心とした登場人物の人間模様が描き出されています。今年で13回目を迎える本屋大賞の第1回受賞作です。
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「彼のことを、私と息子は博士と呼んだ。そして博士は息子を、ルートと呼んだ。息子の頭のてっぺんが、ルート記号のように平らだったからだ。」


この本はこんな書き出しで始まります。家政婦の「私」は、博士の家で働くことになるのですが、その博士は記憶が80分間しかもたないという特殊な病気で、数学を心から愛しています。「私」はそんな博士と交流する中で、少しずつ数の世界に惹かれていきます。


博士は記憶の短さを補うために大切なことは体に付箋を貼って忘れないようにします。そして、「私」に対して友愛数素数といった数学の「美しさ」を説くのです。
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博士はまた、子供に対する深い愛も持ち合わせています。夕飯時、「私」に息子がいて、その息子が一人で「私」の帰りを待っていると聞いたときの言葉です。


「じゃあ、息子はたった一人で留守番しているのか?暗い部屋でたった一人、空腹を抱え、母親を待っているのか?母親は他人の晩飯を僕の晩飯だ。ああ、なんてことだ。いかん。これはいかん」。


その後博士は「私」にすぐに家に帰るように、そして次の日からは息子も連れて来るようにと強く言います。次の日から博士の家に来るようになった息子のルートに対して、博士は無上の愛を注ぐようになります。
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博士は「私」とルートに様々な数学の問題を出します。例えばある日、博士はルートに1から10までの数字を足すようにと言います。ルートは1から順に足していき、55という正解を導きます。


「正直な方法だ。誰からも後ろ指を指されない、堅実な方法だ」。ルートの出した答えを十分尊重した上で、博士は次に「どんなに数字が大きくなっても大丈夫な、もっと簡単な計算方法を見つけよう」とさらなる思考へとルートを誘うのです。


決して自分の知識をひけらかさず、「私」やルートのどんなささいな発見でも褒め称える姿勢は、真に数学を愛しているからこそだと言えましょう。
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この小説の鍵となるのは、タイトルにもありますがやはり「愛」でしょう。それは博士の数学に対する愛でもあり、3人の主要な登場人物が互いに与える愛でもあります。博士は80分で記憶がなくなるけれど、3人が強い絆で結ばれているということが、文全体からじんわりと伝わってくるような感じです。


大きな場面転換を伴うようなストーリーはなく、退屈に感じてしまう方もいるかもしれませんが、読み応えは十分だと思います。
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ちなみに、数学が好きな理系の友達は、「数式に美しさなどなく、数字があるだけだ」と言っていました。これもこれで一つの正しい考え方だと思います。でも、この小説の中で数式を見ていると美しく感じるから不思議です。